続・八菅神社と八菅山いこいの森を歩く

2018年6月28日名所旧跡, 東丹沢, 相模の歴史

下谷の土手 右手奥が八菅橋

前回の「八菅神社と八菅山いこいの森を歩く」続編です。

八菅神社周辺の見どころ

八菅山は愛川町中津方面からのアクセスになるわけですが、この八菅橋を渡る手前にもなかなか絵心をくすぐられるところがあるので、写真をアップしておきます。

下谷しょうぶの里

下谷集落の本道は脇には農業用水が流れ、「しょうぶの里」などと称して花菖蒲が植えられています。

また、トップの写真のように中津川沿いにも土手上に小さな道があって、春の花や秋には曼珠沙華などが咲き乱れ、こちらもおススメですよ。

下谷弁財天

昔から、相模の地は弁財天信仰が発達していたそうですが、下谷の弁財天も名残という事でしょうか。

この下谷の街道は、『かながわのまちなみ100選』に選ばれており、いまだに古相模の里といったイメージが残っています。

たしか、このあたりも江戸時代は厚木の荻野藩の領地だったような話を聞いたことがあるので、調べてみると面白いかもしれませんね。

下谷神社

こじんまりとした下谷神社

川原などを散策すれば、今回は、サワグルミやヤマグワなどが見られました。

山野草なども思ったより、豊富にみられます。

田んぼなどもありますので、自然観察やスナップショットなどにもおススメのポイントです。

三増合戦と信玄道

信玄道

また、下谷集落の崖の上になりますが、こちらは中津地区熊坂集落で、崖沿いの町道はかつての街道だったそうです。

中津往還と呼ばれるこの道は、通称 “信玄道” と呼ばれ、前回の八菅神社の梵鐘で登場した三増合戦の時に義侠の死をとげたとされる、千葉金兵衛宗清にもつながる話ですが、甲州勢が小田原攻めの際に通過した道だと言われています。

史実的に言われているところの三増峠の戦い(みませとうげのたたかい)とは、戦国時代の永禄12年(1569年)10月8日に武田信玄と北条氏により行われた合戦です。

山十邸

信玄公であったかどうかは別とし、おそらくはその一部隊でしょうが、武田信玄の部隊が通ったというノスタルジックな感じを十分に残した、趣のある道です。

また、この旧街道沿いには、無料開放されている古民家 “山十邸”などがあり、見学されても良いかと思います。

昭和30年ごろの山十邸付近

千葉金兵衛宗清ゆかりの神明社

神明社

愛川町郷土誌によると当社の創建由来は永禄12年(1569)の三増合戦の直後。

下川入郷(棚沢・新戸・半縄・熊坂・八菅の5カ村)の村人達が北条方から「領内にありながら武田方に加担した」との疑いをかけられたそうです。

惣代役の熊坂金兵衛宗清は村人が犠牲となるのを恐れ、咎(とが)は私にあるとし、一人縛につき津久井の明日原で斬罪に処せられました。

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村人達はその遺体を引取り五輪の石塔を建て墓印とし、その後慶安2年(1649)1月に神明社勧請にあたり金兵衛の石塔を埋め、その上に一宇を造立したとあります。

いまでも境内には天保2年(1831)の衜祖神(どうそじん)が建立されています。

“衜”の字が“道”ではなく“衜”を使っています。

地図を拡大していくと「楠幼稚園」が山十邸の近くにありますが、その隣に「神明社」という小さな神社が確認できると思います。

ちなみに「神明社」は全国的にみられ、祭神は皇祖神とされる天照大神で、全国に一万八千を数えると言われています。

これは、八幡に匹敵する多さだそうです。

境内のクスノキの大木も見ごたえがあります。

古民家山十邸と下谷集落へのアクセス

山十邸

所在地住所 愛川町中津485番地の1
開園時間 午前9時~午後5時
休館日毎週火曜日(祝日は除く)
祝日の翌日(土・日曜日は除く
交 通 小田急線本厚木駅から上三増又は愛川町役場行きバスで「一本松」下車徒歩25分

問合先 愛川町環境経済部商工課 電話046-285-2111(代)FAX046-286-5021