三増合戦「志田峠」レポート

2018年6月28日相模の歴史

以前に投稿した「結局男にとって三増合戦って何なの?(わけのわからないタイトルでしたが)」で、ご説明していた武田軍の甲斐までの退路、志田峠について一度歩いてみたいと思っていました。

今回、時間が取れたので「武田信玄の旗立て松」の所在地である東名厚木カントリー倶楽部入口から、現在の峠道出口にあたる相模原市緑区長竹の県道412号線まで歩いてみましたのでそのレポートになります。

この左手に続く道が志田峠に向かう林道となる
この左手に続く道が志田峠に向かう林道となる

じっさいに戦後の退路を武田軍全軍が志田沢沿いに志田峠を越えたのかどうかは定かではありませんが、先に工藤昌豊の小荷駄隊が戦線を離脱するためにこの道を通ったのは確かなようですから、おそらく多くの武田隊も後を追ったものと推測できます。

三増合戦における武田軍退路「志田峠」を歩く

志田峠立て札愛川町教育委員会の立て札による説明には、志田峠は志田山塊の峰上を三分した西端にかかる峠で、愛川町田代から志田沢に沿ってのぼり、現在の相模原市津久井韮尾根に抜ける道です。

かつては、「切通し越え」「志田峠越え」の呼び名もあったようですね。

また、江戸期には厚木と津久井を結ぶ道として、志田山塊の東端にある三増峠をしのぐ大街道であったとも記されています。

やはり、車道が整備された三増峠に現在の人は目が行ってしまいがちだが、昔は志田峠が交通のメインであったことは疑いありません。

志田峠林道にて

地名の「志田山」は、一説に「芝山(薪の類)」の訛り(なまり)であるようで、この林道の道すがら山頂までは特に合戦をにおわせる遺構もなく、2016/05現在わずかな距離ですが、舗装?整備のために車両通行止めになっていました。

志田峠山頂にて

志田峠山頂

やっと山頂と思いきや、残念なことに現在、南斜面で何かの大掛かりな土木工事が行われており、趣(おもむき)は全くありませんでした。

馬頭観音が三基ばかりあったほかはもちろん何もありません。

志田峠より湘南を望む志田峠より湘南を望む

しかし、湘南の江の島がかすかに見える風景は身近な場所のわりに素晴らしいものでした。

志田山朝日寺という古刹

shidayamaasahidera01さて、何もないままに相模原市緑区長竹の県道412号線に向かいます。

途中、左手に仏塔のようなものが見えたので寄ってみると山の上に「志田山朝日寺」という古刹があるようでした。

この朝日寺は、別名を「清正光」ともよばれ、案内板によれば、正安元年(1299)に実成庵として中老日実が鎌倉に開創、昭和9年(1934)に鎌倉から移転し名称を改めたそうです。昭和27年(1952)に「清正光」として単独の宗教法人となっているようです。

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また、ご本尊は「清正光大薩捶(せいしょうこうだいさった)」で、明治10年(1877)志田山に勧請されたそうです。

完全に山寺といったお寺で、300段の階段は圧巻でした(汗)。

志田峠と三増合戦

志田峠を振り返る

結局のところ、道中に三増合戦についての遺構はなにも無いようでした。

まぁ、深く考えすぎるのも歴史ファンの悪いところかもしれませんが、今回は、期待していただけに「アレって感じ」のハイキングに終わってしまいました。

相模原市津久井韮尾根方面を望む相模原市津久井韮尾根方面を望む

2016/08には林道の工事も終了するみたいなので、おそらく自動車でも訪れることができると思います。

ご興味のある方は一度訪ねてみてはいかがでしょうか^^