中島三郎助という人物

2017年12月29日相模の歴史

1月22日(日)、横須賀市浦賀5丁目1-2の浦賀コミュニティセンター(浦賀行政センター内)で、今回で23回目となる「中島三郎助まつり」が開かれるそうです。

幕末に起こった「箱館戦争」では、土方歳三や榎本武揚がクローズアップされがちですが、旧幕府軍の一員として最前線で新政府軍と争い、歴史の荒波の中で壮絶な戦死を遂げた“最後のサムライ”の一人でした。

中島三郎助とは

中島三郎助
箱館政権の閣僚として北海道(主に箱館)で活躍しながら、土方や榎本らに比べると小説やTVドラマなどでも知名度が低いために北海道や神奈川県の人にすらその存在をあまり知られていないのはザンネンなところです。

浦賀奉行所の与力だった34歳の時、浦賀に来航したペリーの艦隊に小舟で乗り付け大胆にも「副奉行」と称して談判したという史実でも知られています。

ペリー来航から箱館戦争まで、激動の時代を駆け抜けた神奈川県民にとっては誇るべき偉人の一人ともいえます。

中島 三郎助(なかじま さぶろうすけ文政4年1月25日(1821年2月27日) – 明治2年5月16日(1869年6月25日))

江戸時代末期(幕末)の幕臣

江戸幕府浦賀奉行所与力、のち蝦夷共和国箱館奉行並

諱は永胤。雅号は木鶏

文政4年(1821年)、相模の浦賀奉行所与力・中島清司の子として生まれる。

母は浦賀与力・樋田仲右衛門娘。

中島家は寛文9年(1669年)に下田与力に召し抱えられて以来、与力を務めてきた家柄である。

榎本武揚
若いころより砲術に才能を見せ、田付流、集最流、荻野流の免許、高島流の皆伝を受けたと伝えられている(荻野流とは荻野安重を祖とする流派で相模の荻野藩とは無縁)。

中島三郎助は一般には「箱館で戦死した榎本軍の武将」としてしか認識していない事が多く、三郎助の偉業が讃えられることも多くはないのですが、幕末という時代に大きな足跡を残している人物です。

正直、熱い一生を遂げられた歴史上の人物は少なくはないのですが、その中でも埋もれている偉人の多いことには驚きの一言であります。

中でも今回の中島三郎助は特筆すべき人物であって、歴史ファン(相模のw)には一押しと言って差支えはない偉人の一人かと思います。

ご興味のある方は幕臣として最後まで義を貫き通した最後のサムライである中島三郎助に一度会いに行ってみてはいかがでしょうか。

中島三郎助まつりアクセス

1月22日(日)

横須賀市浦賀5丁目1-2

浦賀コミュニティセンター(浦賀行政センター内)

京急浦賀駅から徒歩7分