赤いヤマメと相模のアマゴ

2018年6月28日Fishing, 生物, 相模の歴史

丹沢の渓で竿を出した方であれば、朱斑(必ずしも鮮明ではないが)を持つヤマメを釣ったことのある方も少なくはないと思う。

丹沢流域の古老が聞き取り調査などで語ったとされる「赤いヤマメ」。

この地で渓流釣りをされる方であれば神奈川県内、とくに酒匂川が一般にヤマメとアマゴの分布境界線とされていることはご存じのはずである。

しかしながら、朱斑を持つヤマメは相模川水系の渓でも確認されているわけで、これがアマゴ(ヤマメとアマゴの交雑種を含め)であるのか丹沢在来のヤマメであるのかそのあたりについて今回はお付き合いいただきたい。

以前に投稿した 丹沢で知っておくべきアマゴ分布の謎のこと に続くものになっています。

定説となっているヤマメとアマゴの分布境界線のカオス

一般に知られるヤマメとアマゴの分布境界線の定説は、田中茂穗博士と大島正満博士に寄るものが基本になっているものと思われる。

両名ともに大正・昭和初期に活躍された人物だが、とくに大島博士はサケ・マスの権威として知られている。

大島博士の論文(昭和五年六月二十二日稿)「ヤマメ及びアマゴの分布境界線に就いて」中の「8:ヤマメとアマゴの分布境界線」によれば

ヤマメとアマゴとは一つの河川中に混棲してゐるわけでなくて、その棲息する場所が定まつてゐる。
先づ兩者が劃然と分たるゝ個所を擧げて見ると、箱根の早川に棲息するものはヤマメで、函嶺以西の河川に棲息するものはアマゴである。

又、甲州笹子峠から大菩薩峠附近を實査した結果によると、その東側を流るゝ桂川上流のものは悉くヤマメで、西側を西南に流れて富士川に入るものにはアマゴがゐる。

中略—–

斯くて日本全土はヤマメ、アマゴの分布上、二つの大なる地區に別たるゝわであるが、往時相模灘に兩者の原種が混棲して居た時代もあり得るわけであるから、相模灘に注ぐ河川には兩者が入り交つて居てもよい筈である。

馬入川の一支流や酒勾川及び早川に朱點のあるものが現はれると田中茂穗氏は報告して居るが、予は未だそれ等の河川でアマゴを見たことがない。

然し田中學士の目撃されたことに誤のあるべき筈がなく、又然くあるのが自然的であるから、中津川以西函嶺に達するまでの地區を兩種の混合地帯と見做して置く。

田中博士の調査を認めたうえで、「往時相模灘に兩者の原種が混棲して居た時代もあり得るわけであるから、相模灘に注ぐ河川には兩者が入り交つて居てもよい筈である。」としている。

現在では最下流域だけの名称となっているが、馬入川とはもちろん相模川であり、つまりは丹沢を流れる水系をすべて含むと解釈しても差し支えないものと思われる。

「馬入川の一支流や酒勾川及び早川に朱點のあるものが現はれると田中茂穗氏は報告して居るが、予は未だそれ等の河川でアマゴを見たことがない。」とあるが、論文がなされた時代背景を見れば、丹沢での渓魚の多くが絶滅したとされる大正期の関東大震災からそれほど年数も経っておらず、丹沢での大島博士の調査は難航されたことが想像されるところである。

大島博士がアマゴ、あるいは朱斑を持つヤマメと思しき個体を確認できなかったことも容易に理解されるところなのである。

ヤマメとアマゴのハイブリッドが丹沢ヤマメの在来種なのか?

前述で紹介したところの論文中に、「斯くて日本全土はヤマメ、アマゴの分布上、二つの大なる地區に別たるゝわであるが、往時相模灘に兩者の原種が混棲して居た時代もあり得るわけであるから、相模灘に注ぐ河川には兩者が入り交つて居てもよい筈である。」とある。

両者が一河川に同居した場合、ハイブリッド(交雑種)が生まれるのは至極当然のことであり、これが定着していたのが丹沢の渓ではないかとボクは解釈している。

つまりはヤマメとアマゴのハイブリッドこそが丹沢を流れる渓のヤマメ在来種とする考えである。

これに当てはまるかどうかは別として、昨今では県の調査でも「朱斑ヤマメが丹沢在来種」の可能性が高い旨の報告がなされているところである。

きわめて個人的な解釈となってしまうが、今回も一ブロガーの投稿記事だとご容赦いただきたい。

丹沢におけるアマゴの人為的な分布について

ただし、逆にヤマメ域におけるアマゴのよる人為的(放流など)な可能性はあるまいか?

これについても大島博士は論文中に

從來琵琶鱒と櫻鱒とが明かに識別されて居なかつた爲に、琵琶鱒がヤマメの棲息する河湖に移殖せてられて、兩種が混棲するやうになつた場所が勘なくない。

中宮祠湖では明治十五年以來兩種を放養し居るので同湖には今尚兩種が現はれる。蘆の湖、猪苗代湖、野尻湖、青木湖 、松原湖亦同様である。

中略—–

ヤマメの棲息區域 にアマゴが出現するのは右の如き事實に基づくのである。尚 又近時琵琶湖の小鮎を全國の河川に移殖してゐるが、小鮎と共にアマゴが運ばれる機會も勘なくな い。

過般多摩川へ放流の目的で運搬した小鮎三萬尾の中には十餘尾のアマゴが居た。

アマゴは適當の棲息場所を得れば産卵繁殖するものであるから、かゝる間接的な手段によつて今後全國的に擴がる機運を持つてゐる。

明治といったビワマスとサクラマスの違いが明らかではなかった時代、大きな流入河川等もない陸封された自然湖に放流された程度であれば局所的な問題で済んだかもしれない。

おどろくことに論文が書かれた昭和五年以前には、すでに琵琶湖の小鮎が全国に向けて出荷されていることが記載されている。

しかも、確実にアマゴの稚魚も確認されているわけであり、もしイワナも小鮎に交じっていた可能性があるならば、以前に当ブログでご紹介した 丹沢の在来イワナを探る 中の「琵琶湖に流れる姉川水系由来の遺伝子(ハプロタイプ)を持つヤマト系イワナ」にも通じていそうなのである。

今の時代となっては、机上論とされかねないが、現在ある多くの魚止め堰堤が存在する以前の事実。

この辺りを鑑みれば、昭和期半ばの土地古老からの聞き取りなどもさすがに明治時代の記憶とあって、きわめてグレーといっても過言ではないようだ。

これらを考えてみると明治時代以来の「アマゴの混じった琵琶湖小鮎」の移入による弊害、ハイブリッドが赤いヤマメ、赤斑を持つヤマメの正体の可能性も出てきた。

くわえて博士は暗示するかのように

ヤマメの棲息區域で年々小鮎の河川放流を試みつゝあるのは、東京、埼玉、長野、神奈川、群馬、栃木、富山、山形、新潟、福島の諸地方であるから、既にアマゴの足跡到らぬ隈なしと云つてよい。

今後ヤマメとアマゴの分布状態を調査するに際し、之等の事項を考慮の中に容れて置くことは頗る肝要な事柄であると云はねばならぬ。( 昭和五年六月廿二日稿

とも記してこの問題を懸念している。

遠い昔にヤマメ原種とアマゴ原種が自然交流したハイブリッド的な在来種なのか、あるいは明治時代以降の人為的な影響で生まれたハイブリッドの末裔か?

しかしながら、赤いヤマメと丹沢のアマゴについての真実を知るには、いささか時が流れすぎているのかもしれないと丹沢での実釣を重ねるたびに感じているところではあるのだが…。

赤いヤマメと相模のアマゴ 参考リンク

以下は、県による学術的な調査報告などと、大島博士による興味深い資料となります。

» 丹沢の渓流魚の危機 – 神奈川県農林水産情報センター

» [PDF] 丹沢山塊における渓流魚の分布について – 神奈川県農林水産情報 …

» アマゴ – 神奈川県レッドデータブック

» 大島 正滿:ヤマメ及びアマゴの分布境界線に就いて 地理学評論 Vol.6 (1930) No.7 P1186-1208_2