相模川支流に姫伝説を見た:神ノ川

2018年6月28日相模の歴史

前回は串川の名の由来について、姫伝説の一つを紹介しましたが、今回は支流道志川のさらに支流にあたる神ノ川にまつわる「相模三姫伝説」の一つを紹介してみたい。

道志川支流「神ノ川」に姫伝説あり

歴史に明るい方ならご存知の通り、戦国時代(室町後期)最強の武士団と言えば武田氏であろう。

しかしながら、信玄公から後を引き継いだ勝頼公の代に入って、一時は最大の勢力図を描いたと言っても織田・徳川連合に長篠の合戦で敗れ、あっけなく滅亡という結果に至っている。

今回の姫伝説の「折花姫」はこの時代の人物で比較的素性もはっきりと文献などにも残っているようだ。

前置きしたいのだが、別の折花姫伝説も伝承として残っており、平家落武者の姫と言う話で、姫の一行は小田原から丹沢を越え落ち延びてきて、神ノ川の長者舎に何年か住み着いていたが、とうとう追っ手に発見されたと言う話である。

本題に入ろう。折花姫とはいかなる人物であったかといえば、先ず、姫の父親である小山田行村(小山田八左衛門尉行村、小山田八左衛門、小山田彦之丞)の長篠敗戦後の動向と身分を説明したい。

小山田信繁
敗戦後、織田方に寝返った、山梨県大月にある岩殿城城主「小山田信茂」の家臣であり、武田氏滅後の小山田信茂の留守中に岩殿城代を勤めたとされる。

しかし、信茂が甲斐善光寺で嫡男、老母、妻、女子とともに処刑されたと聞き、一族にも追っ手がかかることを避け、大月から逃れて奥津久井に入ったとされる。

道志川を渡り、神ノ川沿いの山道を丹沢奥深く入り、現在でも地名の残る「長者舎」辺りまで逃げて、滞在したと言う。

だが、やがて追っ手の知るところとなり、小山田行村は娘の折花姫だけでも逃がそうと、姫の打掛をかぶって敵を引き寄せ、翁と姥をつけて姫の3人を逃がした。

ちなみに長者舎は小山田行村の終焉の地となっている。

また、この爺と姥は、姫の世話をしていた人物で、姻戚関係はないようだ。

前述した伝承のように、この折花姫の話には、3~4ほどのパターンがあるようだが、ほぼ次のようなものになる。

 追っ手に追い込まれた小山田行村は長者舎で矢弾にあたって息を引きとった。

 折花姫は手向けの念仏を唱えつつ、翁と共に慣れない丹沢山中の山道を登って行ったが、追っ手は、更に3人のあとを追った。

 姥は追っ手をだまし、時間稼ぎをするが、やがて渓谷を登る翁と姫を見つけて矢弾を射ち、そのひとつは頼みにしていたの翁の背中に当たる。

 もうこれまでと、翁は折花姫を一人逃がし、折花姫の後姿に合掌ののち、迫る敵と戦い、壮烈な死を遂げる。

 そして、ついに、折花姫も追っ手に包囲され、自ら懐剣で喉を貫いて無念の最期を遂げた。

自動車では行くことができない丹沢の登山道に蛭ヶ岳から北へ下り、原小屋平を過ぎるあたりの山中に「姫次(つめつぎ)」(1433m)と言う開けた場所がある。

この場所は、折花姫は追っ手に崖下に突き落とされたとも伝えられる場所で、「姫突き」が語源となり「姫次」となったと言う話もある。

神ノ川林道沿いにある折花宮
しかし、姫の終焉の地に地元の人々が「折花宮」を祀り供養したとされています。

そこは青根から犬越路峠に行く山道沿いの折花橋近くの「折花神社」と言う小さな神社として今も残っているのです。

このように伝承・伝説についてはマチマチといったところがあるのが常ではありますが、パターン違いでさらに次のような伝承も伝わっているようです。

 大長者の老夫婦と美しい折花姫と呼ばれる娘が住み着いていて、大室山の東にある鐘撞山(839m)の頂上に鐘守を置いて見張りをさせていた。

 ある時、急襲してきた群衆に老夫婦と折花姫は共に逃れようとしたが、老夫婦は殺害され、姫は自害した。

残された長者舎の屋敷跡からは「さる木の下に小判千枚」という書き物が見つかったと言う。

じっさい、鐘撞山には金のカメ7個を埋められたという古文書もあるようだが、信憑性はどうなのだろうか。

小山田行村と折花姫

小山田行村(小山田八左衛門尉行村)という人物については、主君である小山田信茂が甲斐善光寺で織田勢に処刑された際に同行し、同じく処刑されたと言う説もある。

音久和集落道路沿い左手の「ばば宮」
小山田八左衛門行村の墓と伝わる石碑が津久井青野原の伏馬田から道志川を渡ったところにあり、墓標には、武田氏滅亡と同じ年の1582年、月日は4月9日と記載があり、武田勝頼が自刃したのが3月11日。

小山田信茂が織田勢により、処刑されたのが3月24日なので、その後に津久井方面で逃亡生活していたところ、発見されたという話の裏付けとなるわけです。

以上のことを踏まえれば、小山田行村が折花姫と行動を共にしていたのか、あるいは折花姫が小山田氏の一族なのかすらもじっさいのところは不明である。

ただ、武田氏滅亡の際のいわゆる「落ち武者狩り」については、次のような例がある。

神ノ川キャンプ場入口付近の「じじ宮」
上野原を知行していた加藤氏は一族をつれて武蔵国に逃れたが、多摩郡箱根ケ崎で百姓の落武者狩りにあい、加藤丹後守景忠を始め一族・家臣ともども討死したと古文書に見られることから相当なものだったと想像できる。

これらを見ると伝承の信憑性も深まるところです

今回は相模三姫伝説の一つ、折花姫についてザックリと紹介してみましたが、神ノ川へ渓流釣りやキャンプなど行かれることがありましたら、この折花姫伝説を思い出し、歴史ロマンなどに浸っていただければ幸いです。