相模川支流に姫伝説を見た:串川の由来

2017年12月29日相模の歴史

ふつうは川の名前など釣り人なら気にもしないものかもしれませんが、ボクの場合はどうも気になってしまい考え出すと夜も寝れません。

というのは冗談ですが、相模原市の津久井付近に流れ込む相模川水系の「串川」も気になる川の名の一つでした。

櫛川姫の悲しいまでの恋の伝説

かつてサクラマス(比較的小型の30cm程度の銀毛ヤマメ)さえ遡上したと言われる串川ですが、現代においては渓魚もアユもパッとしない釣り場とはなっています。

しかし、その串川という名の由来については、少しセンチメンタル、あるいはドラマチックともいえる秘話が伝承として残っているようです。

以下は「津久井町郷土誌」によるものです。

津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。

川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹いて行った。

「川の上の方には何があるんだろう。」と、若者は胸をはずませながら夜露を歩き、しばらくして道場と言う地区に着いた。

道場にある橋を渡ると、目の前にたいそう立派な御殿が月の光をあびて建っていた。

御殿の近くに行くと、御殿の中から、琴の音が松の梢をとおして静かに聞こえてきた。

「なんとやさしい音色だろう。」 しばらく耳を傾けていた若者は、やがて琴の音にあわせるように笛を吹きはじめた。

琴と笛の調べはしっとりと、とけあって、澄んだ夜に流れていった。

村のしゅうも、そっと戸を開けてうっとりと聞きほれたそうだ。

いつか琴の音はやんだが、若者は酔ったように笛を吹いていると、うしろにひとりの姫>が立っていた。

若者は驚いて「さきほどの琴の音は、姫様でございましたか?」と聞くと、「はい、私はこの館に住む者でございます。笛の音に導かれてここまで参りました。どうぞ、もう一曲お聞かせくだされ。」と姫は答えました。

若者は心をこめてまた笛を吹いた。じっと聞き入る、姫様の黒くて長い髪がつやつやとして、それは美しい姫であった。

二人は、つぎの満月の夜にまた会うことを約束した。

満月の夜が来る度に、若者が笛を吹き、傍らでじっと耳を傾ける姫の姿があった。

笛の音は、時には高く、時には低く、心にしみ入る音をひびかせた。その音は、川のせせらぎにのって、静かに静かに流れていった。

月の光の中、二人はとても幸せそうに寄り添っておった。こうして若者と姫は互いに深く信じあい、愛しあうようになった。

二人の仲は、やがて村のしゅうの目に触れ、「お似合いのお二人じゃ」と、村のしゅうは、あたたかく二人を見守っておった。

ある満月の夜、若者はとつぜん旅の姿で姫君の前に現れた。

「父の用で他国へ行くことになりました。一年たったら帰りますゆえ、それまで待っていてくだされ。これは私がそなたのために彫った櫛じゃ。これを私だと思って大切に持っていてくだされ。この櫛に私の命をたくして、いつもあなたの傍におりまする。」若者は金銀象嵌の見事な櫛を姫に贈った。

別れを悲しんで泣き伏す姫の髪にそっとさしてやった。見つめあう二人の目からとめどなく涙があふれてきた。

それからは、寂しい日々が続いたが姫は櫛を肌身離さず持ち、ときには、そっと櫛に語りかけていた。

ある夜、満月が山の上にのぼった頃、姫は橋の上にたたずんでいた。月が川面にゆらめいている。 

姫がじっと川を見つめていると突然、若者の姿が映った。苦しげに手をさしのべている。

「若君!」思わずさけんで身を乗り出してしまったとき、髪にさしていた櫛がはらりと川に落ちていった。

「あっ、櫛が!」姫は狂ったように川の中に入って櫛を探したが、暗闇の中、流れてしまったのか、櫛はとうとう見つからなかった。

川面に映った若君の苦しげな姿、そして大切な櫛が落ちていった・・・。

「もしや若君の身に・・・。」と、姫は来る日も来る日も、「櫛、櫛、」とつぶやきながら、川の中を探し回った。

村のしゅうも、姫の思いつめた様子に、これは一大事と、みんなで探したが、櫛はどこにも見あたらない。

しばらくたって、旅に出た若者が病で亡くなったという悲しい知らせが村に届いた。

姫が、川面に若君の姿を見、櫛を落としたあの夜の出来事であったと、、。

ある夜、姫は、やつれはてた姿になって川岸に立った。

「若君、あなたはひとりで遠いところへ旅立っておしまいになりました。私はあなたの命である櫛を落としてしまいました。私もすぐに若君のおそばへ参ります。」瞳は遠くを見つめ、どこか幸せそうであった。

村のしゅうは、結ばれなかった二人を悲しみ、誰ともなく、この川を「くし川」と呼び、若者と姫の哀しい物語を語り伝えたいと言う。

ずっとあとになって、くし川の下流にある小倉村で、たまたま釣りをしていた年寄りが、川底に光る美しい櫛を見つけた。

小倉村の人々は、鳥屋村での話を知り、川原橋の上にある丘に小さな祠を建てて、その櫛を祭った。

この祠は「小櫛堂」と呼ばれ、二人の冥福を祈り、供養をした。

残念ながら小櫛堂(串川下流の小倉)は現存していないが、津久井町鳥屋に御屋敷という地名が現在でも残っているのでイメージと大まかなロケーションは察しが付くところではあります。

ここは、相模原市方面から中津川水系の早戸川に渓流釣りや管理釣り場に向かう途中となるので、通られた方も多いかと思います。

話の冒頭に「津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。」という件があるが、丹沢に関する文献によれば、じっさい大正の関東大震災前までの串川はかなりの水量があったそうです。

ストリートビューは現在の「御屋敷」付近であるが、水量はかなり乏しいもので、往年の流れとはイメージ的にギャップがあるかとは思うところではあるのですが。

話を戻して、伝承とは言ってもこう言ったうなずける点もあるわけで、おそらくは櫛川姫についても史実ととらえても良いのかもしれませんね。

ちなみに津久井地方には他に二つの姫伝説が残っており、「三姫伝説」などと紹介されているケースも多いようです。

本題に戻りますが、「くしかわ」の名は姫の「櫛」が「串」に代わってあの川の名に付いたという事なんですよね。

しかし、櫛川姫の名も「櫛川の姫」という事でしょうが、本名すら定かではありませんw

時代背景も「その昔、」という程度でおそらくは戦国時代というあいまいなことらしいです。

まぁ、文献のような記録とは違って、伝承は伝承どまりの感があり、ここまでとしましょう。

今回は串川の名の謂(いわ)れについてでしたが、釣りやドライブなどでこの川沿いを走った時にでも思い出してくださればと思います。